2013年10月1日火曜日

01 入社してからしばらくは平和でした

どこから遡って書けば分かりやすいか悩んだんですが、やはり入社当時から書き始めるのが一番かと。

このお話のはじまりは、2009年9月1日です。

このブログの中では問題の会社のことを『相手方』と呼びます。
労働審判時にはこの呼び方になったんで最初からこれでいきますね。

大阪市で事務機器や事務用品その他などを取り扱っていた会社です。
大きなものは複合機(いわゆるコピー機)、から小さいものは文房具などなど。
他にも名刺や封筒の印刷を請け負ったり、私が入ってからはデザインもやりましたね。
ま、何でも取り扱ってたという小さな会社です。

私KiKiは、2009年9月1日 入社
職種:Webデザイナー
会社のホームページの充実と将来的にはネットショップを展開したいとのことで募集されたとのことです。
社員は5人。ちっちゃい会社です。
社長、経理(件取締役件営業)の女:Y、営業の男性:TとHの2人と私:KiKiです。
あ、他に外部スタッフとして関東にシステムさんという方もいらっしゃいます。

何とこの会社の社員は全員、とある会社の社員で大阪営業所が閉鎖の際辞めて、社長を中心に自分たちの会社を立ちあげたといういわく付きだったんです。
なので部外者(?)は私だけ。これも後になって色々あるんですよ。
この時すでに41歳ですから、もともとWebデザイン・制作をやっていたとはいえ就職できたのは奇跡と思ってたんですよ。

入社して困ったのは仕事が無いんですねー。
どうも「将来的にこうしたい」という漠然とした希望しか無かったんですね。
もちろん現在のサイトの充実を図るというのはあったんですけど、明確な方向性を会社が示してくれる訳ではないので企画立てることとソースコードの整理くらいしかありませんでした。

あまりに暇なので営業さんの持っている資料とか色々見せてもらっているうちに、先にこちらを見なおす方が会社のためになると思い、数点見本を作成して社長へ提案。
やっと仕事が増えました。
会社で取り扱っている商品の資料・チラシ的なものを含め、見やすいものに作り変えてPDF化、さらにホームページにも掲載していくというのがメインの仕事になりました。

それでも時間がありましたから、事務の仕事(受注・発注・手配・納品書作成・請求書作成などなど)もやりましたねー。
今思えばこれをやっていたからほとんどの取引先のことが分かっていて、最終的にお金が戻ってくることになったんです。
それはもっと先のお話で。
デザイナーですが、ちっちゃい会社で変なプライド持っても意味ないんですよ。
会社が利益を得るために手伝うのは当たり前、と。

そのうちクライアントさんの要望で、定期的に写真撮影から資料や看板・チラシなどの作成を依頼されたり、知り合いが事務所を新設するのでキャラクラーを作って欲しいとか、思ってもみないちょっと面白い仕事も増えたりしてこの年の年末までは結構楽しくやってました。

そしてこの会社、学校法人さんなどのクライントも数件ありノベルティの企画・提案などもあったんですね。
ここで以前ノベルティのサイトを制作・運営してた経験が活かされ、新規仕入先の開拓も行い色々提案しました。
資料もオリジナルで作りなおして企画書に添付しやすくしたり。
暇な時期にギフトショーに行って色々見てたのが良かったんですね。
何でもやっとくべきです。

少数のノベルティへの名入れ方法なども提案、このノベルティ関係の受注が結構増えたんですね。
最近では高校の学校法人さんの例でいくと、地域の中学校への学校説明会やオープンキャンパスなどでもノベルティを配布することが多いので需要があったんですよ。
この仕事は楽しかった。

こういう実績とホームページへの取扱い商品ページの増加で、アクセス数も伸びホームページでのお問い合わせも増えていきました。

なので、社長や営業さんから結構頼りにされてたんですよね。
その上社内のPCやネットワーク環境なども都度整備したりとかしましたし、「PC固まったー」とか「このソフトの使い方分からないんだけど」等の対応もしましたよ。
今までどうやって仕事してたんだ、この人達…と思いつつ、営業管理ソフトの帳票類のレイアウト修正もやったなぁ。
ホームページの管理者としてレンタルサーバーの管理とかメールの管理までやってましたから、結構重要な事を入社すぐからやってたよなー。

入社してほんの3ヶ月ほどは楽しく過ごせたんですが、ここから不穏な方向へ行きます。

0 コメント:

コメントを投稿